2006年10月30日

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祖母の三回忌なので、
地元は名古屋、徳川家の由緒正しい(らしい)興正寺の遍照殿という納骨堂に行ってきた。
こちらはお墓という形を好まない人用にきちんと骨壷を
35年間保管してくれ、管理をしてくれるというもの。
言わば、死後の老人ホームみたいなものだろうか。
時代も変われば、墓も変わるということか。

お布施を出して、お経をあげてもらう。
お焼香が目にしみて泣きそうになり、
なんとか我慢。

何かと大変だったおばあちゃんが亡くなって
早2年。
そうそう、亡くなって二年目のことを三回忌と言うそうだ。
知らなかった。
初七日を葬式が終わったその同日に、
便宜上行ってしまうというのも、
この世からあの世へ向かう仏様にとっては煙が御飯だからお通夜の時は決して絶やしてはいけないのだということも、
知らなかったなあ。

父方の祖母が亡くなったときは、まだ小学校一年生だったので、
知らないこともたくさんあって、
なんとなく感覚で人の死のことを知った。
ただ、やっぱりそれはひどく悲しいもので、
そしてお通夜、宴会、お葬式と三日三晩続くものだから
哀しみもむらがあって、
雲のようにもくもくと湧き上がってきては
煙のようにすっと消えていくのだなあと思っていた。


ばなな氏もいっていたが、

知らないでいて、いいことなんてひとつもない。

無知なことは悲しいことだ。

それだけで、人を傷つけたり、憎んだりすらしてしまうのだから。


かといって、経験しなくてもいいことは本当にこの世の中、山のようにある。

私のようなちっぽけな存在の、短い人生のうちであっても、知っておいても、経験せずにいられたらよかったことは、どれほどあることだろうか。

でも、それでもやはり、知っておかなくてはいけないだろう。
体験できないばかりに、理解できないようなことでも、知っておかなくてはいけないだろう。
学校に行って、勉強をするというのはそういうことだ。

人の気持ちが完全に理解できなくても、
理解しようとすることはできると思う。

やっぱり、知らなくていいことなんて、ひとつもないんだと思う。

静かにお経を聞き、冥福を祈りながら
そんなことを思っていた。
posted by Sleepyhead723 at 23:21| Comment(2) | TrackBack(0) | diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そうだね、最近だんだん大人の世界(?)のCOMMON SENSEのようなものを知り、これからはこういうことも知ってないと恥ずかしい年になってきたよね。
私は、ちょうど今日、宗派によってその後の供養の日も違うということも知ったよ。
お知りあいの家が「77日」の供養をしていたので、
初七日と間違えて話を進めたところ、周りからつっこみを受けました。
知るは一時の恥じ、知らぬは一生の恥じということで・・。

ところで、ばなな氏の本ってなんてタイトル?読んでみたくなりました。
Posted by えみ at 2006年11月02日 02:01
えみりん、コメントありがとう。
ほんとよね〜。仏教の宗派のもろもろもいろいろ面白いよね。

ばななんのはほとんど読んでるので、混乱気味だが、
たしか『悲しい予感』だったと思います。
吉本ばなな時代のものです。
あの頃のほうがぜんぜんよかったなあ〜。

最近のはう〜ん、どうなんだろうな。
読者の私が彼女のスタイルに慣れてきてしまってきたからなのか、
ちょっとネタ切れ気味なのか。

でも、『アルゼンチンババァ』はかなりキテレツな話だけれど、
私は久しぶりに面白いと思いました。
キテレツな方はよかったら読んでみてくだされ。
Posted by sleepyhead at 2006年11月02日 13:38
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